カルチョ通信
セリエAの歴史:1906年
- カテゴリ: セリエAの歴史
- 2012年10月11日(木曜)06:00
セリエAは、トーナメント形式からリーグ形式になりました。
1906年の3月18日のジェノアVSユヴェントス戦がきっかけで、1906年は結構面倒な一年になりました。
ユヴェントスに有利になるように審判がジャッジしたと思ったジェノア応援団は、スタジアムに入り込んで、ケンカをしかけてきました。選手もスタッフも遠慮なくケンカに参加し、審判が試合を中止にしました。やり直しになった試合はミラノで行われ、ユヴェントスが勝ちました。この結果を気に入らなかったジェノアチームは、次の試合(ミランVSジェノア)をボイコットし、ミラノの不戦勝に終わりました。
このため、ユヴェントスとミランの勝ち点が同じになり、セリエAランキングで共に1位になりました。
当時のルールにいて、優勝チームを決めるためには、得点(ゴール)の多いチームのスタジアムで試合をしなければなりませんでした。そこで、1906年の最も得点が多いチームはジェノアでしたが、ジェノアのスタジアムで試合をすると、もう一度ケンカになる可能性があったため、ユヴェントスのトリノ・スタジアムで試合が行われました。
(得点の多い順:ジェノア→ユヴェントス→ミラン。順位としてはユヴェントスとミランが1位、ジェノアが2位。)
ミラン対ユヴェントスの追加試合が行われましたが、引き分けに終わりました。もう1試合、追加の試合が行われることになりました。
ジェノアで試合ができず、ユヴェントスのトリーノ・スタジアムで試合をしたばかりなので、3番目に得点が多かったチームのミラン・スタジアムで試合を行うとセリエA協会が決めました。
この決定はユヴェントスの選手にとって、気に入らないものだったので、追加試合をボイコットしました。そのため、自動的にミランが1906年の優勝チームになりました。