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カルチョ通信

セリエAの歴史:1908年

1908年は、またもや複雑な一年でした。セリエA協会は新しいルールをとり入れ、セリエAリーグは外国人がいないチームのみになりました。

当時はイタリアのサッカーは始まったばかりです。ほとんどのセリエAチームの創始者はサッカーの歴史があったイギリスもしくはスイスから来ていました。彼らにとっては、チームに外国人選手が在籍していることは当たり前でした。

ところが、イタリアのビッグクラブ(ミラン、ユヴェントス、ジェノア、トリノ)はこのルールに反対し、1908年シーズンには出場しませんでした。


1908年の優勝チームはピエモンテ州のPro Vercelli(プロ・ヴェルチェッリ)でした。これがきっかけで、Pro Vercelliは当時のビッグクラブの一つとなりました。

シーズン終了後、セリエA協会がこの新しいルールを撤廃し、セリエAルールが元に戻りました。

1908年は大変な一年でした。しかし、この一年があったからこそ、現在日本人ファンの多いクラブが誕生しました。それはインテルです。

「外国人がセリエAでプレーできない」というルールに関しては、ミランの役員の意見はバラバラでした。それでミランから離れた人たちが、翌年にインテルを設立し、1909年からミラノを本拠地とするチームが二つになりました。


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