カルチョ通信
セリエAの歴史:1908年
- カテゴリ: セリエAの歴史
- 2012年10月25日(木曜)06:00
1908年は、またもや複雑な一年でした。セリエA協会は新しいルールをとり入れ、セリエAリーグは外国人がいないチームのみになりました。
当時はイタリアのサッカーは始まったばかりです。ほとんどのセリエAチームの創始者はサッカーの歴史があったイギリスもしくはスイスから来ていました。彼らにとっては、チームに外国人選手が在籍していることは当たり前でした。
ところが、イタリアのビッグクラブ(ミラン、ユヴェントス、ジェノア、トリノ)はこのルールに反対し、1908年シーズンには出場しませんでした。
1908年の優勝チームはピエモンテ州のPro Vercelli(プロ・ヴェルチェッリ)でした。これがきっかけで、Pro Vercelliは当時のビッグクラブの一つとなりました。
シーズン終了後、セリエA協会がこの新しいルールを撤廃し、セリエAルールが元に戻りました。
1908年は大変な一年でした。しかし、この一年があったからこそ、現在日本人ファンの多いクラブが誕生しました。それはインテルです。
「外国人がセリエAでプレーできない」というルールに関しては、ミランの役員の意見はバラバラでした。それでミランから離れた人たちが、翌年にインテルを設立し、1909年からミラノを本拠地とするチームが二つになりました。